自分が十代の子の親になった時2005年10月08日 13:34

いつも観る日本の番組が何本かあります。
NHK教育でやっている「しゃべり場」もだいたい
毎週観ています。
出ている十代の人たちは、私の子供といっても
おかしくない年齢なので、観ているとついつい
私も親の立場で「しゃべり場」したくなって、
ウズウズしてしまいます。

この番組に出演している人がよく言う意見の中に、
「好きな仕事以外したくない」
「学歴なんて関係ない」
というのがあります。自分が十代の頃は
そういうふうに思っていなかったので、
自分の子供がお年頃になった時にそういう考えだったら
私はどうするか?というのをいつも考えます。
果たして自分はそれを受け入れられるか、
それとも説得してしまうか。

やっぱり説得に入るだろうなあ、と今は思います。
どうしてもここは譲れないところなのですが、
やっぱり十代のうちに「我慢してがんばる」
ことは身につけてほしいと思ってしまうのです。

十代の頃の勉強は「やらされている感」が強いので、
どうしても我慢することになってしまいがちです。
でも、それを乗り越えた人は強いと思っています。
「学歴なんて」と言う人は多いのですが、
やっぱり私は勉強をがんばって難しい大学に入って、
難しい勉強をこなした人たちに対して「すごいなあ」
と心から思います。

それはいまだに自分の目標なのですが、
あともう一歩の努力。それをやる力は筋肉のように、
鍛えるしかないのだと思っています。
マラソン選手が気を失うまでトレーニングをして
得られる心肺機能、というイメージでもあります。

社会に出た時に、おそらく気づくであろう、
「ずば抜けた才能がある人はほんの一握りで、
だいたいの人は平凡。自分も平凡。」という
現実に押しつぶされないためには、こつこつと
がんばることが、じつはものすごい支えになる。
だから、今からがんばる癖をつけておくべし!
と、三十代の私は、思うのです。

あまりにも地味な説で、こんなんで
思春期の子を説得できないだろうなあ、
とは思ってはいるのですが。
猶予はあと10年です。

アメリカでは教育ママ2005年10月09日 23:45

海外に住む小学生にとって日本語の維持は大問題です。
我々の住んでいる地域には日本人学校はないので、
平日は現地の学校に通うことになります。
週五日・一日六時間を英語‘だけ’で過ごすのですから、
一年をすぎたあたりから英語には困らなくなるそうです。
が!それと同時に、日本語がどんどん出てこなく
なるらしいのです。

そうなってはマズいということで、日本人の親たちは
子供の日本語の勉強に必死です。
嫌がる子供たちをなだめておだてて、毎日国語の勉強を
やらせるわけです。じつはこれはすごい労力です。

小学校中学年の子のお母さんに聞いた話ですが、
アメリカの算数と日本の算数ではひっ算のやり方から
違うそうで、「日本では、そのやり方じゃなくて、
こうこうこうやって・・・」と言うと、当然子供は
「どうして?答えが同じなんだからいいじゃん。」
となるそうです。

アメリカでは計算機を使っていいくらいですから、
ひっ算のやり方はどちらでもいいかもしれませんが、
日本ではそのプロセスが重要視されるので、
やっぱり親としては、知らん顔でききないのです。

ただでさえ、今日本は学力低下うんぬんで、
かえって家庭での学習熱が高くなっている様子。
海外にいたら、なおさら家庭学習は命綱。
まさか、自分がこんな教育ママのような生活を
するとは思ってもみませんでした・・・。

空手教室、初日2005年10月11日 13:04

今日は娘の空手教室の初日でした。
そう。KARATEです。(「カラテ」とは
発音せずに、カラーリィという感じで呼ぶ。)

娘には「空手の先生はすごく厳しいよ〜。
だらだらしているが一番ダメなんだよ〜。」
と、行きの車の中でさんざん前置き(脅し?)
したので、はしゃぐこともなく緊張気味でした。

体育館に土足で入ってもいいということ
(日本は体育館履きに替えますよね)に
罪悪感を持ちつつ、とりあえず手続きを済ませ、
稽古を始める時の先生の大きな声に、
全体にちょっとした緊張感。
やはり今日が初めてという子供がたくさんいて、
みんなやたらとカタくなってました。
学校ではあんなにお行儀の悪いアメリカの
子供たちが、みんなマジメな顔をして、
痛いのを我慢しつつ正座しているということが、
なんとも新鮮でした。
(オジさんの生徒もいましたが、正座が
我慢出来ずおネエさん座りをしていました・・・。)
KARATEというものは礼儀が大事、というのを、
みんなすでに心得ているようでした。

娘は「日本人として一番ビシイッとしていないと!」
という気が満々で、かえって奇妙な動きに
なっていましたが、その心意気だけで母は満足。
アメリカの子供達のお行儀の悪さ(授業中に立て膝、
ものを食べる、遅刻へっちゃら)は、まあそういう
文化と思って腹も立たないのですが、我が子が
感化されることだけは恐ろしい。
こういった緊張感に気押されず食らいついて行く、
ということを学ばせてもらえたらいいなと
思っています。

思いがけず、深刻な昼下がり2005年10月12日 23:28

今日は天気も悪いし、一日家でのんびり・・・と
思っていたのですが、アフリカの社会問題を
扱ったドキュメンタリー番組を観て、どどーんと
気持ちが沈んでしまいました。

ちょうど今、歴史の授業で、帝国主義のヨーロッパが
どうやってアフリカを植民地にしたか、という
ことをやっています。その内容と今日のドキュメンタリー
とをからめて考えたら、搾取とも言える彼等の行為は、
現在のアフリカ問題までずーっと繋がっている
ということがわかりました。
今の私のアタマでは、ただモヤモヤするだけでうまく
理論的に整理できていないのですが、やっぱり
「いったいどういうこと?どうやったら解決できる?」
という思いばかりが先走ってしまいます。

資本主義を否定した、社会主義の指導者たちの
言うこともごもっともだったのだなあと今なら
わかります。資本主義は、まるで勝手に増殖していく
化け物のように思えます。
それらをすべて否定して、一足飛びに(革命で)
理想の社会にしたかった社会主義者たちの気持ち、
神の降臨を待ち望んですべてガラガラポンされるのを
待っている人たちの気持ちも、わかるような気がします。
だけど、それは難しそうに見えて、ある種の逃げのような
印象もあります。この大きなうねりを止めるには、
もっともっと気の遠くなるような時間と犠牲が
必要なのでしょう。

残念ながらここあたりで思考は止ってしまってます。
私は今こうやって悠長に構えていられるけれども、
そんな余裕のない人は、きっと爆弾持って
自分ごと爆発させるしかないと思いつめているはずです。

オハイオの瞬間的渋滞2005年10月13日 13:51

私の住んでいるところは郊外の住宅地なので、
車の渋滞というのはないと思っていましたが、
やっぱりありました。やはり夕方です。
最近、子供の習い事の時間が夕方になったので、
5〜6時に運転することが多くなって、
気づいたことです。

しかも、家に早く帰りたいという心理のせいか、
オハイオらしくなく、運転が荒い。ギリギリまで
車間をつめてきたり、交差点での左折(日本では
右折の状況)では、やたらと鋭く切り込んでくる
ため、信号待ちをしているとぶつかりそうで
ヒヤヒヤします。

しかし、この渋滞、ほんの短い時間だけで、
6時を過ぎたあたりから緩和されてきます。
え?ということは、やっぱりアメリカ人は
5時には会社を出て、5時30分には家に着く
ということ?と夫に聞いたら、
「いや。4時半あたりから帰り始めている。」
・・・だそうです。
どうりで、子供の習い事のお迎えは父親が多いし、
夏は夕方芝刈りしてる人が多いと思った。